HOMEDIARYMUSICSTUDIOCOFFEELINKBBS

ソフィア・アスガトヴナ・グバイドゥーリナ
(Sofia Asgatovna Gubaidulina/ София Асгaтовна Губайдулина)


 グバイドゥーリナは、旧ソ連内のタタール(タタルスタン)共和国で生まれた、現在も活躍中の女性作曲家です。女性作曲家の中でも最も有名な一人といえるでしょう。

 ソ連にも現代音楽にも明るくない私ですが、必要があって文献などを調べた際のおぼえがきとしてここで紹介します。元々詳しくないのでタタールの歴史やなんやかやもメモってます。ただし、なにぶん二次的資料なのであまり信用しすぎないでくださいよっ(笑)

 もっときちんとお知りになりたい方は、ぜひ参考文献の項にあるものをあたることをおすすめします。日本で手に入るものばかりです。
 間違いや疑問点はどうかメールにてご指摘ください。
  1. タタール共和国とは

  2. 略歴〜ソ連時代
    1931-1984
  3. 略歴〜ペレストロイカ後
    1985-1991
  4. 略歴〜ソ連解体後
    1992-
  5. 背景と推察・・・
  6. 主な作品

  7. 参考文献(日本語・英語)
  8. 関連リンク集(日本語)
  9. 関連リンク集(英語・ロシア語)


1.タタール共和国とは

 グバイドゥーリナは1931年、当時ソ連の一部だった現タタール(タタルスタン)共和国生まれ。
 タタールは元々フィン・ウゴル語族が住んでいた地にトルコ系民族が進出し、後にモンゴル帝国の一部となりました。1555年イワン雷帝によってロシア領となり、1920年にソ連自治領となった地です。
 2000年5月、プーチン大統領がロシア内に連邦管区を創設し、ロシア連邦としての統制が強化されました。現在はロシア連邦内に89ある管区のうちの沿ボルガ連邦管区内の一共和国です。

 タタール共和国内では、タタール人(イスラム・スンニ派に所属)が48%、ロシア(スラヴ系)が43%、そのほかチュバシ人、ウクライナ人、モルドヴァ人、ウドムルト人、マリ人、バシキール人、ベラルーシ人、ユダヤ人・・・などによる多民族国家です。グバイドゥーリナ自身もタタール人とロシア人の両親をもっています。

 余談ですが「タタール」の中国名は「韃靼(だったん)」。ボロディン作曲「だったん人の踊り」という曲もありますが、この場合の「タタール」は、中国やロシアから見たトルコ系民族・タタール族あるいはモンゴル系遊牧民の総称。トルストイの『カフカズの捕虜』にあるタタール人もそうです。サハリン(樺太)・タタール岸(ユーラシア大陸にある)間の「タタール(韃靼・間宮)海峡」も、モンゴル系遊牧民が住んでいたことからついたものです。そういった意味で、タタール人はイスラム派でありながら、その民族音楽はモンゴルや中国の音楽に近いと言えます。

2.略歴〜ソ連時代 1931-1984

 1931年10月24日 タタール共和国 のチストポリで、タタール人技師の父とロシア人教師の母のもとに生まれる。
 1946〜1949年 カザン音楽専門学校でピアノを学ぶ。
 1949〜1954年 カザン音楽院でコーガン(Grigory Kogan 1901-1979)にピアノを師事、レーマン(Albert Leman 1915-)に作曲を学ぶ。
 1954〜1959年 モスクワ音楽院でニコライ・イヴァノヴェチ・ペイコ(Nikolay Peyko 1916-)に作曲を学ぶ。ショスタコーヴィチのアシスタントも務める。
 1959〜1963年 モスクワ音楽院の大学院でシェバーリン(Shebalin)の指導で作曲を学ぶ。本格的な作曲活動を開始し、1961年には作曲家組合の一員となる。ピアノ曲《シャコンヌ》(1962)は、セリー技法を用いた彼女の最も初期の作品。以後、独特な楽器編成の室内楽作品を多数作曲。
 1963〜1967年 ドキュメンタリー・フィルム・スタジオで、1964〜1969年 オデッサのアート・フィルム・スタジオで作曲家を務める。1968年からはアニメーションの作曲を手がける。1968〜1970年 モスクワ電子音楽スタジオで創作を始め、ヨーロッパの前衛的技法を採り入れた作風を確立する。
 1970年 モスクワ・ソヴィエト・シアターの作曲家となる。
 1974年 ローマ国際音楽コンクール優勝。
 1975年 アコーディオンのための作曲家として非常に高名だったヴラディスラフ・ゾロタリョフが自殺、その追悼曲《深き淵より》作曲。
 1975〜1981年 作曲家仲間のヴィクトル・ススリン(Victor Suslin 1942-) 、ビヤチェスラフ・アルチューモフ(Vyacheslav Artyomov)と共に、『アストレイア(Astrea)』 という即興演奏グループを結成し、芸術の自由を求めて反体制的な音楽活動をする。
 1980年 ベルリンのフェスティバルで《オフェルトリウム》が演奏される。


 ※ヴィクトル・ススリン(Victor Suslin 1942-)・・・旧ソ連出身の作曲家。グネーシン音楽院卒。モスクワ音楽院で管弦楽法を教えるが、1981年ドイツに亡命。

 ※アストレイア(Astrea)・・・ロシア、コーカサス、中央アジア、東アジアなどの珍しい民族楽器と儀礼用楽器を用いてきた。演奏はCD化されている。
「アストレイア」とは、ギリシャ神話のゼウスとテミスの娘で、正義の女神。

3.略歴〜ペレストロイカ後 1985-1991

 1985年 ペレストロイカによりソ連国内の民主化、言論の自由の拡大が進む。それに伴いヨーロッパや日本でグバイドゥーリナ人気が高まっていき、初めて西側への旅行を許可される。1987年 モナコ賞受賞。
 1989年 高橋悠治、武満徹、柴田南雄、吉田秀和らが絶賛し、当時現代音楽界の話題を一身に集めていたグバイドゥーリナが初来日。オリエンタル劇場音楽祭(神戸)、日ソ音楽家協会主催の講演会(東京)、記念演奏会(東京・カザルスホール)に出席する。クーセヴィツキー国際録音賞が《オフェルトリウム》 のCDに対して贈られる。
 1990年 再び来日。代表作《オフェルトリウム》などの大作が高橋悠治の指揮で日本初演される(CD化)。レーニン賞受賞。
 1991年 3度目の来日。自らロシアの民族楽器を使って、ヴィクトル・ススリン、その息子アレキサンダー・ススリン(Aleksandr Suslin 1961-)と即興演奏を行う。ススリン親子と『アストレイア』を再結成。
 ベルリン芸術週間でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルによって 《アレルヤ》が初演される。フランコ・アビアート賞、ハイデルベルク女性芸術家賞受賞。12月ソ連解体。


 ※アレキサンダー・ススリン(Aleksandr Suslin 1961-)・・・モスクワに生まれる。ヴァイオリンをゲルトーヴィチに学ぶ。 1981年家族とともにドイツに移住、その後ロックに、さらに即興の分野に深く関わっていく。1989年以降ベーシストとして活躍。

4.略歴〜ソ連解体後 1992-

 1992年 ロシア国家賞受賞。モスクワからドイツのハンブルクに移住。
 1994年 再びクーセヴィツキー国際録音賞を、交響曲《声・沈黙》で受賞。
 1995年 日本でグバイドゥーリナ・フェスティバル開催、《チェロ・ソロのための十の前奏曲》、《イン・クローチェ》、《リジョイス》 が演奏される。ギドン・クレーメルのクレメラータ・ムジカに参加。東大で、音楽をはじめとしたロシア文化全般について講義。
 1996年 第12回<東京の夏>音楽祭で、ベッツィ・ジョラス(フランス)、塩見伎共子、増本允枝子、藤家渓子らと共に「世界の女性作曲家−自選曲アンソロジー」などのプログラムで作品が演奏される。
 1997年 現代ロシア詩の最高峰であるゲンナジ・アイギ(Gennadii Aigi 1934-)、ロシア映画界の最高峰である映画監督アレクサンドル・ソクーロフ(Aleksandr Sokurov 1951-)「アストレイア」と共に来日。「音楽、詩、静寂」と題して詩と音楽と映画にみる口シア文化の広がりと日本について講演・演奏を行う。タングルウッド音楽祭参加。
 1998年 第10回世界文化賞受賞。  1999年 NHK交響楽団の委嘱作品《イン・ザ・シャドー・オブ・ザ・トゥリー 〜3つの筝と琴とオーケストラのための》初演、米国5都市でも演奏される。
 2001年 フランドル音楽祭で、古楽合唱団コレギウム・ヴォカーレが《今やいつも雪》をとりあげ話題を呼ぶ。
 2002年 <東京の夏>音楽祭のため再びアイギと共に来日。


 ※ゲンナジ・アイギ(Gennadii Aigi 1934-)・・・チュバシ共和国に生まれる。10代から森や大地を題材に作詩を始めた。モスクワの大学で文学を学び、20代からはチュバシ語より語彙が豊富なロシア語で作詩するようになる。西欧で高く評価され、そのアバンギャルドな作風から「ホルガのマラルメ」の異名を持つ。「規則的に拍子を刻むことから解放された音楽の中に、リズムや抑揚など、詩のあるべき姿を見た」(アイギ本人による音楽観 朝日新聞2002年7月1日夕刊13面)

 ※アレクサンドル・ソクーロフ(Aleksandr Sokurov 1951-)・・・シベリアに生まれる。モスクワの全ソ国立映画大学卒業。卒業作品からすでに当時のソ連の社会主義的美的基準を大きく逸脱していたが、タルコフスキーがこの映画を高く評価した。体制の崩壊や社会的激変に左右されることなく、着々と自分本来の映像世界を追求し、記録映画と劇映画の両分野の第一線で活躍している。作品・著書多数、日本との関係も深い。

5.背景と推察・・・(汗)

 1900年代は、ソ連芸術界にとって決して豊かな時代とは言えませんでした。グバイドゥーリナが生まれてからも、1933-34年は大飢饉があり、1936年には作家・芸術家らが大粛清のため収容所に送られ、1941年にはドイツ軍侵攻。1945年にようやく第二次世界大戦が終結します。
 グバイドゥーリナは、終戦の翌年に音楽学校に入学したことになります。とはいえ、日本の終戦後のような破壊的な状態ではなかったと思われます。
 彼女がゲンナジ・アイギと出会ったのは、スターリンが死去した後の社会主義リアリズム・全体主義の時代でした。詩人も芸術家も作曲家も制約されていて自由な創作は難しく、地下での活動を強いられていたといいます(2002年<東京の夏>音楽祭プレトーク談)。
 しかし、そんな中で彼女は確実に活動の幅を広げてきました。面白いことに1969年、ある有名な日本人男性作曲家二人が「女性の作曲家、無理なのではないのでしょうか・・・」「世界的にどこもそうですね」という対談をしたことが残っています。グバイドゥーリナがローマ国際音楽コンクールで優勝するのは、その5年後のことでした。

6.主な(?)作品

1957ピアノ5重奏曲
1958シンフォニー
1959ピアノ協奏曲
1961インテルメッツォ
1962シャコンヌ(ピアノ)
1965ピアノソナタ
5つのエチュード(ハープ、コントラバス、打楽器)
1968カンタータ《メンフィスの夜》
1969カンタータ《ルバイヤート》
1969-70《生きているもの−生きていないもの》(シンセサイザー、テープ)
1971コンコルダンツァ(10重奏)
 弦楽四重奏曲第1番
1974《ざわめきと沈黙》(チェンバロ、チェレスタ、打楽器)
 チェロ独奏のための10の練習曲
1977ハープシコードと打楽器のための音楽
1978《深き淵より》(バヤン)
1979《イン・クローチェ》(チェロ、オルガン)
1980《オフェルトリウム》(ヴァイオリン協奏曲)
1982《キリストの最後の7つの言葉》(チェロ、バヤン、弦楽合奏)
1986《声・沈黙》 (12楽章の交響曲)
1987《T.S.エリオットへのオマージュ》
1989《プロ・エ・コントラ》(オーケストラ)
 《問われぬ答え》(3つのオーケストラ)
1990《アレルヤ》(独唱、合唱、オルガン、6打楽器、チェンバロ、チェレスタ、ピアノ、オーケストラ)
1991《時間の本より》(チェロ、オーケストラ、男声合唱、語り手)
1994弦楽4重奏曲第4番
 《タイトロープの上のダンサー》
1997ヴィオラ協奏曲
 《太陽の歌》(合唱、チェロ、二つの打楽器)
1998《二つの道》(2ヴィオラ、オーケストラ)
1999《イン・ザ・シャドー・オブ・ザ・トゥリー》(筝と琴の協奏曲)
2000ヨハネ受難曲

 他・以後も多数。録音は各種あります。邦題は適当です。
 さらに作曲年代は資料によって多少前後しています。

7.参考文献、関連書籍(日本語・英語・ドイツ語)

“Sofia Gubaidulina”(作品カタログ)
Valentina Kholopova “Gubaidulina, Sofia Asgatovna”(The New Grove Dictionary)


8.関連リンク集(日本語)

●世界文化賞 1998年音楽部門で受賞。プロフィール・主要作品・略歴・エッセイが掲載されています。ご本人の写真あり。
●国際シンポジウム「ユーラシアの風」
●研究室を訪れた人々 1996年度
「東京大学文学部 人文社会系研究科 スラヴ語スラヴ文学研究室」さんのページ。来日した際こちらで何度か講義を行っています。その概要が読めるほか、来日中の様子もレポートされています。
ロシア文化・芸術・文学についての内容は特に興味深いのでそちらもぜひどうぞ。
●タタルスタン共和国「ロシア情報ステーション」さんのページ。タタール共和国の歴史・地理・民族・気候など基本的な情報がわかります。ロシアの他の情報も満載。
●GUBAIDULINA:The Canticle of the Sun, Music for Fl. Str. and Perc. 「ジュラシック・ページ」さんのCD解説「おやぢの部屋」より。8月10日の欄で鋭い批評と共に「おやぢ」さまのギャグが炸裂。


9.関連リンク集(英語・ロシア語)

●Sofia Gubaidulina 【英語】略歴、作品表、リンク集など。写真もあります。
●A Russian Composer's Path to Freedom 【英語】1997年タングルウッド音楽祭での様子。
●Sofia Gubaidulina 【英語・】略歴・作品表・写真などがあるデータベース。
●Structural Symbolism in the Music of Sofia Gubaidulina 【英語】《イン・クローチェ》(1979)と《喜びと悲しみの園》(1980)における象徴主義を分析したFay Neary氏による博士論文。
●Tatarstan on the Net 【英語】カザン州立大学による、タタール(タタルスタン)共和国の文化・歴史などのサイト。
●Republic of Tatarstan Official Web-site 【英語・ロシア語・タタール語?】タタール共和国公式サイト。


HOMEDIARYMUSICSTUDIOCOFFEELINKBBS
inserted by FC2 system